人間を健全に導く「芸術と自然」
FECの松澤建理事長は8月25日、ノーベル生理学・医学賞受賞者である大村智北里大学特別栄誉教授のお招きで埼玉県北本市にある北里大学メディカルセンターを訪問し、同病院の絵画コレクション並びに併設の大村記念館を見学し、大村博士と対談を行った。
病院と美術館の絵画コレクション
松澤理事長 本日は病院内に飾られている素晴らしい絵画のコレクションと、大村記念館所蔵の絵画コレクション、そして王森然記念室を大村先生直々にご案内いただき、誠にありがとうございました。私は先生との55年のお付き合いを通じて、先生の偉大さ、人間としてのやさしさを実感し、大いに見習うべきだと思っております。先生の偉業とその素晴らしさは日本人の誇りであり、日本にいる世界各国の大使たちにも紹介していきたいと考えております。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

大村博士 本当に遠いところまで、暑い中よくお越しいただきました。
一度は松澤さんにこのメディカルセンターと王森然記念室をご覧いただきたいと思っておりましたが、それがようやく実現し、嬉しく思っております。
松澤さんとはもともとゴルフ仲間としていろいろご一緒することが多く、松澤さんが社長を務められた保険会社の前の社長が山梨県のご出身で、佐野さんという非常に良い方でした。その方にいつも励ましていただいておりましたが、その後を継がれたのが松澤さんです。会社は今では損保ジャパンと呼ばれていますね。ゴルフ仲間というのは、いろいろな場面で何でも話せますし、何かあれば「松澤さんに聞いてみよう」となることも多い。私はどちらかといえば狭い範囲で、しかも外国での仕事が多いのですが、だからこそ経験豊富で視野の広い松澤さんのような方は本当に頼もしい存在です。
北里大学メディカルセンターと「ヒーリングアート」
松澤 恐縮です。以前、韮崎大村美術館に伺った際も、その膨大なコレクションに驚きましたが、先ほどご案内いただいた病院のロビーや廊下に飾られている絵画の数々も素晴らしかったです。この点について少し詳しくお聞かせください。
大村 イベルメクチンの発見によりノーベル賞を受賞しましたが、それ以前に共同研究先の米製薬会社メルクから北里研究所に特許料が入る契約をしておりました。これにより北里研究所の財政的な危機を救うと同時に、新しい事業を展開することになりました。その第一歩が今日ご覧いただいた北里大学メディカルセンターです。周りに広大な自然観察公園があることで、「芸術は自然とともに一体となって人間を健全に導く」という言葉を思い出し、近代医学に自然と芸術を融合させた「ヒーリングアート」というコンセプトで運営することにしました。
松澤 病院にいらっしゃる方はご本人はもとより、付き添いのご家族も不安な気持ちになっていると思います。このような素晴らしい作品の数々は、そうした方々の心を癒やし、元気づけてくれるものと思います。大村記念館に所蔵されている洋画や水墨画のコレクションにも圧倒されました。
王森然記念室の誕生
大村 洋画の方ではアメリカで活躍された岡田謙三氏の作品が多数展示されていますが、これは岡田氏の奥様から寄贈されたものです。そして今日ぜひご覧いただきたかったのは、この王森然記念室です。この病院に飾られた絵があったからこそ、この記念室につながっているのです。
中国の「王森然学術研究会」の副会長を務めていた王済夫先生一行が来日し、この病院を見学した際に絵画をご覧になり、非常に感動されました。その話を王森然先生の奥様に伝えたところ、奥様から「王森然の遺された作品を持っているので差し上げたい」というご連絡をいただき、今では40点もの作品があります。中国の芸術関係者が見たら驚くほどの数です。私の希望としては、在日中国大使館の方々をぜひこの王森然記念室にご招待したいと思っております。


王森然(おうしんねん) Wáng Sēnrán(1895年~1984年)
中国の教育者、著述家、書画家。小学校教師から大学教授に至るまで70年以上にわたって教育に従事し、多くの後進を育成した。加えて、書や墨絵の分野においても高い評価を受け、その精神性あふれる作品は強い感銘を与えてきた。
【略歴】1895年生まれ。青年期に教育の道へ進み、小学校教員を経て大学教授に至る。
教育者として70年以上にわたり活動し、門下からは中国各界で活躍する人材が多数輩出された。著述活動も行い、教育・学術の発展に寄与。理念や思想は現在も学問的価値を有している。
芸術家としても活躍し、文化大革命の逆境期にあっても創作を続け、北京・中山公園で3度の個展を開催。多くの人々に精神的感銘を与えた。1984年没。
【芸術活動】
書や水墨画を中心に制作。作風は「繰り返し描くことで鍛錬された霊魂と熱血を紙と墨に凝縮し、世界観や生活感覚を深く内包させる」と評された。精神性と内在性に富む表現が特徴で、観る者の心に強い印象を残した。
【評価と影響】
質素な生活を送り、慈愛に満ちた人格で人々から敬愛された。
没後も教育・著述・芸術の3面にわたる功績は高く評価され続けている。
王森然の学問的意義を顕彰するため、中国では「中国王森然学術研究会」が設立された。これは郭沫若記念学術研究会、宋慶齢記念学術研究会と並び、個人名を冠した大学レベルの学術研究会の一つである。
習近平国家主席の父である習仲勲も同研究会のメンバーに名を連ねており、王森然の学問的・思想的影響力の広さを示している。
【人物像】
教育者・著述家・芸術家として3重の側面を併せ持ち、20世紀中国における知識人の典型的存在とされる。
その人格・作品・思想は没後も中国の学術界や文化史の中で重要な位置を占めている。
松澤 大変素晴らしいエピソードです。当協会は駐日中国大使とも親しくしております。大使にはぜひこの話を伝えたいと思います。先生が中国との交流を始められたきっかけなどもお聞かせください。
大村 私が初めて中国に行ったのは1981年です。中国医学科学院副院長の沈基震先生らに招かれ、同研究所と上海医薬工業研究院で「抗生物質の研究に関して」の講演をしたり、技術指導をしたりしました。両研究所で計7度の討論会が行われるなど、密度の高い学術交流となりました。当時の中国はまだ発展途上で、日本に学びたいという思いが強く、指導を依頼されたのです。そこから毎年のように交流が始まり、中国から研究者を北里研究所に迎え入れ、宿舎を用意して1年、2年と滞在できるようにしました。また、私自身は何度も中国を訪れ、瀋陽薬科大学などで講義しました。記念に植えた木が今もキャンパスに残っていると思います。
さらに、中国の研究者たちを日本に招き、研究所で研修してもらったこともありました。これまで40~50人を受け入れてきました。また、王森然研究会との出会いがありました。この研究会は習近平主席の父親である習仲勲氏や、著名な書画鑑定家などが集う学術的に優れた会でした。私はそこから多くを学び、先ほどお話しした王森然先生の奥様に、私の取り組みをお知らせいただいた王済夫先生とも交流が深まりました。王済夫先生とはそのご縁で深くお付き合いをさせていただき、本当の友達とはこういう関係をいうのだなと深く実感しました。
残念なことにその後、王済夫先生が台湾で活動中に事故で急逝されました。北京での葬儀には3000人以上が参列し、私も駆けつけました。その後、奥様にお会いし何か形見にいただきたいとお願いしたところ、王済夫先生の書をいただきました。王済夫先生がいかに中国で敬愛されていたかを強く感じました。また、先生の教え子や関係者が次々と私を訪ねてきてくれるようになり、中国との縁がますます深まっていきました。
日本人として「近くの隣人」と仲良く
上海交通大学との縁
こうした友人の一人に、上海交通大学との交流を深めている人物がいます。上海交通大学といえば、中国でも有数の名門大学です。その方は絵画を通じて大学とつながりを持っていて、私もその縁で大学に招かれました。そこで講義や展示に関わる機会があり、非常に有意義な交流を重ねることができました。その結果、私は上海交通大学から名誉博士号の栄誉をいただきました。文化や芸術を通じた交流が学問的な評価にもつながり、互いの国の理解を深める大きな力になったと思っております。
政治ではなく隣人としての中国交流
松澤 なるほど。先生の中国との交流は長く深いものなのですね。
大村 ここが一番大切な点なのですが、私が中国との交流に力を注ぐのは、決して政治的な理由ではありません。
一人の日本人として、隣国である中国の人々と文化的・人的なつながりを深めることが大切だと考えているからです。祖母からも「遠い親戚より近くの隣人を大事にしなさい」とよく言われました。まさに中国は「近くの隣人」であり、隣人として仲良くしなければならない存在です。その思いを胸に、科学や美術といった分野で交流を重ねてきました。文化や芸術は国境を越えて人と人とを結びつける力があります。だからこそ私は、政治や経済の駆け引きとは無縁の次元で、日本人として中国の人々と接し、互いに学び合い、信頼を築くことを続けているのです。
絵画が人を救う力
大村 ここで一つ、病院に飾られた絵画が人を励ました実例をお話ししたいと思います。
ある患者は脳腫瘍を患い、自らの寿命を悟って落胆していました。しかし、この病院で絵画を目にし、「このような病院で最期を迎えられるのは幸せだ」と感動し、非常に喜ばれました。
また、あるご婦人も、私の好きな画家・桜井孝美の「朝日」という大作を見て心を動かされました。彼女は家庭の事情で深く悩み、子供を抱えて生活に苦しんでいました。ところがこの絵を見て「これではいけない、頑張ろう」と立ち直る決心がついたと言います。後に桜井本人に直接会い、感謝の言葉を伝えられたそうです。
このように、絵は人の心を救う力を持っています。病院に絵を飾ることが、患者やその家族に勇気や希望を与えている。そのことを私は何度も目の当たりにしてきました。皆さんが絵画に興味をもってくださるのは本当にありがたいことです。
故郷・韮崎でのソフトパワーの実践
松澤 先生の故郷である山梨県韮崎市でのお取り組みについてもお聞かせください。
大村 私は出身地の韮崎に美術館を創設しています。地方の活性化というと、どうしても経済の話に結びつけられがちですが、そうではなく、地方には地方の魅力があります。それを生かすことが一つの財産であり、もっと取り組まなければならないと考えています。
ジョセフ・ナイというアメリカの国際政治学者が「ソフトパワー」の重要性を提唱しています。私がやろうとしていることは韮崎という街にまさにソフトパワーを持ち込むことです。
美術館があり、そこに私の生家が登録無形文化財に指定され、そのうえ現代の名工が素晴らしい庭園を作ってくれました。今は韮崎大村記念公園となり、その公園の中に韮崎大村美術館と私の生家があり、さらに今度は茶室を移築いたしました。


最初は桑畑から始め、そこに温泉を作り、蕎麦屋を作るなどしながら整えてきて、今では韮崎大村記念公園となりました。今回の茶室移築が最終段階で、これも市の文化財となり、やがては国の文化財に申請する予定です。これは荏原・畠山記念文化財団の敷地にあった茶室で、もともと非常に有名なものでした。しかし美術館を拡張するために撤去することになりました。そこで前の常務理事の方から「もったいないから何とかしてほしい」という話をいただき、私が韮崎に移築することにしました。
建物はすでに完成し、9月7日に茶室開きを行い、前日の6日に竣工式とお茶会を催しました。そのお茶会には、裏千家大宗匠(茶道裏千家前家元・千玄室氏)にお越しいただく予定でした。残念ながら大宗匠は亡くなられてしまいましたが、現在の家元が配慮してくださり、御子息の若宗匠(千宗史氏)が来てくださることになったのです。これをもって、私がこれまで描いてきた公園づくりの事業がひとまず完成することになります。これが皆さんにとってソフトパワーの一助となればよいと願っています。
松澤 千玄室氏には私も2度お目にかかったことがありますが、本当に立派な方でした。韮崎大村記念公園は絵画だけにとどまらず、日本文化の象徴でもある茶道に触れることができるのは大変素晴らしいことです。
大村 韮崎大村美術館は今度、NHKの日曜美術番組『アートシーン』でも取り上げられることになっています。そこでは女流作家の優れた作品が数多く紹介されます。文化勲章受章者や文化功労者など、日本の女性画家の代表的な作品が集まっており、女性の美術館としては日本唯一です。いずれ広く知られれば、非常に大きな存在になっていくでしょう。美術館は地域の名物となり、まさにソフトパワーの拠点となるのです。
それを展開していくのは若い人たちの力です。韮崎では私が中心となって整備を続けていますが、若い世代が主体となって動いてくれています。今回の茶室はすでに市の文化財に指定され、今後は県や国の文化財になることを夢見ています。
「実践躬行」モットーに 精神貫く
大村 この茶室を建てたのは畠山一清という人物で、荏原製作所、つまり有名なポンプの会社の創立者です。彼は韮崎出身で、阪急東宝グループの創業者・小林一三と親しく、茶友でした。畠山一清は七尾の畠山藩の城主の末裔で、戦国時代には武田信玄と戦った上杉謙信に滅ぼされた家柄の出です。そんな背景を持つ人々が関わった茶室を韮崎に移したことは大きな意味があります。
卒寿と「実践躬行」の精神
松澤 なるほど。その茶室も小林一三を通じて韮崎市に縁があるのですね。
大村 はい。このように、私は「ソフトパワーを韮崎に」という思いで活動を続けています。東京の新宿駅から電車で1時間30分ほどで来られる距離で、美術館を巡り、蕎麦を食べ、温泉に入り、帰途につくという過ごし方ができる場所として完成しつつあります。 最近では美術館に上村松園の作品も収蔵しました。私はこれで絵の収集は一区切りと考えていますが、今後も必要に応じて補足していきたいと思います。世界を見ても、女性画家を中心にした美術館はまれで、日本では、ここだけです。アメリカ・ワシントンにあるナショナル・ギャラリー・オブ・ウーメン・アートと並ぶ存在だと思っています。私はライバルだとは思いませんが、内容では我が美術館も負けないと自負しています。
そうした活動を通じて、ソフトパワーを実践しているのです。これからも多くの人々から「あれをやってくれ、これをやってくれ」と声をかけてもらえることはありがたいことですし、私はその期待に応え続けたいと思っています。
ノーベル賞から今年でちょうど10年目になります。私自身も7月12日に「卒寿」、つまり90歳になりました。ところが、今年の1月、2月頃から周囲が「卒寿を祝おう」と言い出してくれたのですが、急に「卒寿」と言われると、自分でも「ああ、90歳か、もう体も弱ってきたな」という気持ちになります。今はそんな状態です。
松澤 先生、一言だけ付け加えさせてください。大村先生は山梨県にとどまらない、日本にもとどまらない、世界の大村先生です。先生が90歳になられたことは一つの節目にすぎません。あと10年、20年は現役で続けていただきたい。今の世代の中で、この役割を果たせるのは先生しかいないと思っています。
大村 そうかもしれませんね。ただ、私は「実践躬行(きゅうこう)」をモットーにしてきました。言ったことは必ず自分でやってみせる。これが私の生き方でした。
後藤新平という人物を私は尊敬しています。彼は「欧米かぶれ」だと批判されましたが、実際には確固たる信念を持ち、実践した人です。私は彼に横井小楠の流れを見ています。そして、その学術的な支えとなったのが北里柴三郎先生でした。2人が手を取り合い、日本の衛生行政を築いた。その姿に私は影響を受けています。
後藤新平は東京市長、今でいう都知事を務めたこともありますが、政治家として本来は総理大臣になるべき人だったのではないかと思っています。後藤新平のような政治家が総理大臣になっていたら、日本はもっと違っていたはずです。そういう人材の系譜を、私も少しでも受け継いでいかなければならないと思っています。
松澤 分かりやすい良いお話で、元気をいただきました。
大村 私自身は、この活動を始めてからもう長い年月が経ちました。今年はちょうど30年目を迎えます。最初は小さな取り組みでしたが、公園や美術館、温泉、蕎麦屋などが整備され、一つの文化拠点となりました。これまで応援してくださった方々に心から感謝しています。
そして今、日本学士院の欧文誌に掲載された私の論文についても思いがけない知らせがありました。イベルメクチンがコロナの治療にも有効であるということで、日本学士院編集局が調べてくれたところ、昨年1年間で38万件以上ものアクセスがあったそうです。毎月トップの閲覧数を記録し、年間を通しても圧倒的に多くの人に読まれていた。これは私自身が宣伝したのではなく、第三者が調べてくれた結果ですから、非常に嬉しい驚きでした。
もっとも、私は自分の研究を誇示するつもりはありません。ただ、実践してきたことが評価され、多くの人に役立っているのであれば、それはありがたいことです。
最後に申し上げたいのは、やはり「実践躬行」ということです。後藤新平や横井小楠の流れを継ぐように、私は学術だけでなく行動で示してきました。これからも年齢にかかわらず、できる限りその精神を貫いていきたいと思っています。
今日、こうして松澤さんに病院と記念館をご覧いただけたことは本当に嬉しい。私の活動の一端を知っていただけただけでも大きな意味があると思っています。文化も芸術も人と人とを結びつける力があります。これからもその力を信じて歩んでいきたいと思っています。
松澤 本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

大村智(おおむら・さとし) 1935(昭和10)年、山梨県韮崎市生まれ。北里大学特別栄誉教授、学校法人女子美術大学名誉理事長、韮崎大村美術館館長。日本学士院会員。米国ウェスレーヤン大学マックス・ティシュラー名誉教授。全米科学アカデミー(NAS)外国人会員、フランス科学アカデミー外国人会員、ドイツ科学アカデミー・レオポルディナ会員。微生物の生産する天然有機化合物の研究を専門とし、50年以上の研究生活を通して約520種類の新規化合物を発見。うち26種類が医薬、動物薬、研究用試薬として実用化され、感染症などの予防や撲滅、さらに生命現象の解明などに貢献している。そのうちの1つであるイベルメクチンは、オンコセルカ症(河川盲目症)やリンパ系フィラリア症といった寄生虫感染症の多くを予防・治療する特効薬となった。その業績が評価され、2015年、イベルメクチンを共同で開発した米国メルク社のウィリアム・キャンベル博士とともにノーベル生理学・医学賞を受賞。
地域医療と先端医療を担う拠点
北里大学メディカルセンター
大村博士のイベルメクチンの特許料により建てられた埼玉県北本市にある北里大学メディカルセンターは、1989年の開設以来、地域住民の健康を守り続けてきました。約400床を有するこの中核病院は、北里研究所を母体とし、大学附属病院として高度な医療と教育・研究の場を兼ね備えています。循環器や消化器、腫瘍科、整形外科など幅広い診療科を備え、特にがんや心疾患、脳卒中の専門医療に強みを持ち、また救急医療にも積極的に取り組み、埼玉県央地域の地域医療支援病院として重要な役割を担っています。
教育面では北里大学医学部や看護学部の実習病院として医療人材の育成に貢献。臨床研究や新しい医療技術の実践も行い、学術的な発展と地域医療の橋渡しを果たしています。
さらに、地域がん診療連携拠点病院として緩和ケアやリハビリにも力を注ぎ、患者の生活の質向上を重視する姿勢が特徴的です。
対談記事で大村博士が触れられているように学校法人北里研究所は、近代医学に自然と芸術を融合させた「ヒーリングアート」をコンセプトにした試みを続けられています。北里大学北里研究所病院(白金キャンパス)および北里大学メディカルセンター(北本キャンパス)を中心に関連施設内にて絵画を展示しており、「絵のある病院」として広く知られています。
医療機能の充実を図ると同時に人間性の尊重という視点から病院特有の雰囲気を払拭し、対談記事にもあるように大いに効果を発揮しています。この「絵のある病院」というコンセプトに賛同した著名な画家の方々からの寄贈を含め本コレクションは約1700点を数えます。


大村博士の業績と絵画コレクションを展示
大村記念館
2012年11月1日に、大村博士の数々の研究業績や栄誉を顕彰するために、北里大学北本キャンパス内に「大村記念館」が開設されました。
大村博士らが発見した生物活性物質を生産する放線菌の電子顕微鏡写真や生物活性物質の分子模型、これまで受賞した国内外の賞状やメダル等を展示しています。
また、15年に受賞されたノーベル生理学・医学賞関連のパネル、王森然氏や岡田謙三氏の絵画など大村博士が収集した絵画(北里研究所大村美術品コレクション)をご覧いただけます。
祝日を除く月曜日・水曜日・金曜日の午前10時から午後4時まで無料で見学できます。




自然と調和する癒やしの空間
韮崎大村美術館
山梨県韮崎市の高台にある「韮崎大村美術館」は、大村博士が創設した美術館です。博士が地域への恩返しと文化振興を目的に2007年に開館し、自ら長年にわたり収集した多彩な作品を公開してきました。
展示は近代日本画や洋画、陶芸、工芸など幅広く、とくに女性画家による作品コレクションは全国的にも珍しく、女性芸術家の再評価を促す場として注目されてきました。館内の大きな窓からは南アルプスや八ヶ岳を望むことができ、芸術と自然を同時に楽しめる環境も魅力です。
大村博士は「人を癒やし、地域に根づく美術館」を理念に掲げ、作品収集だけでなく若手芸術家の育成や地域文化の発信にも力を注いできました。その思いを継ぐ形で、現在は韮崎市立の施設として運営され、公園内の施設としても整備されています。地元住民や観光客に広く親しまれ、韮崎市の文化拠点として存在感を高めています。
科学と芸術を結ぶ韮崎大村美術館は、博士の人間性を映す「もう一つの研究室」ともいえる存在です。今も訪れる人々に知的な刺激と安らぎを与え続けています。



