理事長対談シリーズ④ 松澤建FEC理事長×㈱INPEX 北村俊昭相談役

北村相談役(右)と松澤理事長

日本発 世界へ挑む開発企業を目指す

経産省での強烈な原体験と縁

経産省での強烈な原体験と縁
 松澤建理事長 本日は、株式会社INPEXの北村俊昭相談役にお話を伺います。北村相談役は、通商産業省(現・経済産業省)に入省されてから、貿易経済協力局や製造産業局などの局長を歴任され、今は相談役として日本のエネルギーを支えておられます。ぜひ先生のご経験やお考えを、若い世代の会員にも伝えたく、お話をお聞かせ願いたいです。それでは、3社統合後のINPEX経営を任され、日本唯一の国際的石油・ガス開発会社を確立された経緯について教えてください。

 北村俊昭相談役 まずは私の経歴からお話しします。私は社会人になってから、もう50年以上になります。そのうちの30年以上を公務員として、通産省で過ごしました。その後INPEXに入社し、今年で17年目を迎えます。振り返ってみると、私は本当に縁に恵まれていたと感じます。
 私が通産省に入省して、まだ2年目の1973年に第一次オイルショックがありました。急激に原油が値上がりして、ガソリンスタンドに長蛇の列ができたり、トイレットペーパーが買い占められたりと、国中がパニックになっていた時期です。私はちょうど石油部に配属されていたので、まさにエネルギー行政の最前線で走り回ることになりました。

 この公務員としての経験が、強烈な原体験です。79年から80年にかけての第二次オイルショックの時期も、石油開発課でエネルギーの安定供給に奔走しました。通産省に入って最初の10年ぐらいは、エネルギー関係の仕事に従事していましたね。

 その後は複数の部署を経験して、最後は通商政策局長や経済産業審議官を務め退官しました。退官後は一時期大学で客員教授を務めていましたが、当時のINPEX会長から「うちの会社に来てくれないか」とお声がけをいただきました。私の原点である「エネルギーの安定供給」という面では思い残すことがあったので、ありがたい縁だったと思います。


 やり残した夢を再チャレンジ
 松澤 公務員時代には貿易経済協力局の局長などを歴任されており華々しい経歴かと思いますが、どういった思い残しがあったのでしょうか。

 北村 経産省での経験は私の原点といえるものです。石油部の開発課で開発業界を担当していた際に、いろいろな取り組みをしましたが、結局その時には「世界に通用する日本の石油開発会社」を生み出せませんでした。

 かつては、アラビア石油がありました。また、国が中心となり、石油公団による支援を通じて多くの関係会社を集め、いわゆるナショナルプロジェクトを推進していくプロセスの中で、世界に通用する開発会社ができるのではないかと事業を進めていました。しかし、結果的には世界の企業と競争できるような開発企業は育てられなかったのです。「開発企業」の本質は、資源の枯渇や権益確保とのハードルを乗り越えて、いかに優良なアセットを長期的に確保していくか、です。これまでの日本の挑戦では、結局この壁を突破できなかったとも言えます。

 松澤 そうですね。かつてのアラビア石油は日本でも有数の大企業でした。アラビア石油といえば、権益について大きな話題になりました。当時は大変だったのではないでしょうか。

 北村 おっしゃる通りで、実はアラビア石油は2000年に油田の権益延長ができなくて、結局消滅してしまいました。権益というのは、産油国が石油開発企業に与える石油やガスを探鉱・開発・生産・販売する権利のことです。

 石油開発ビジネスというのは、そもそも石油が見つかるとは限らない。たとえ見つかっても、膨大な開発資金を投入して、資金回収できるだけの安定した生産が可能かどうかを見極めるのも難しい。他の業種と比べて膨大な資金が必要で、しかも失敗するリスクがあるにもかかわらず、権益がなくなったらパタッとダメになってしまいます。

 当時の私は小渕総理大臣の総理秘書官を務めていました。何度も権益を延ばせないかと尋ねられましたが、残念ながら権益の延長は叶わず、採掘権を失ってしまいます。もちろんアラビア石油も役所も努力しましたが、上手くいきませんでした。石油開発に携わっていた身としては、40年以上続いた日本の石油開発の象徴がなくなってしまうことに悔しさを感じました。

 こうした経験から、私の中ではもう一度チャレンジしたいという想いが非常に強くありました。アラビア石油のようなことが二度と起きないようにしたいと思っていたので、縁あって当時のINPEX会長からお誘いを受けたときは、大変幸運だと感じました。いわば自分のやり残した夢、志のようなものに再びチャレンジできるかもしれないと思い、喜んでINPEXに入社させてもらったことを覚えています。こうした縁によって、公務員からINPEXへと繋がっているのは、やはり非常に恵まれていると思います。

INPEX設立の経緯と3社統合の志
 松澤 ある種、INPEXとは運命的な出会いをされたわけですね。そこから、どのようにして現在のINPEXを確立していかれたのでしょうか。

 北村 現在のINPEXは、日本でようやく世界に通用する石油・天然ガス・LNG(液化天然ガス)の開発企業と言える姿となりました。日本国内だけでなく、オーストラリアやアブダビ(アラブ首長国連邦)、インドネシア、ヨーロッパなどにも拠点を設けています。

 そのルーツは3つの開発会社の統合にあります。1つは「帝国石油」。太平洋戦争直前の1941年に設立され、国内の油田開発を一手に担っていた会社です。2つ目は「インドネシア石油」。67年に設立され、インドネシアで石油・ガスの開発を行っていました。3つ目は「ジャパン石油開発」。73年に設立され、アブダビで石油権益を取得し、現在もその生産を続けています。

 この3社が2004年から08年にかけて経営統合し、08年に「国際石油開発帝石株式会社(現INPEX)」が誕生しました。この経営統合の背景には、世界に通用する日本の石油開発会社を作りたいという想いがありました。それぞれの会社だけではなかなか実現困難なため、統合することで世界を目指すこととなります。この志は大きく素晴らしいもので、まさに私の夢とも合致する理念でした。

3つの成長ドライバー
 私は経営統合の翌年、09年に入社し、翌10年に社長に就任しました。当時は1000億円前後の純利益で、従業員も1500人ほどでした。一方、この内実を見ると利益の大半をインドネシア石油が持つ特定のプロジェクトに依存しており、しかもそのプロジェクトは数年内に権益の期限が到来する予定でした。さらに、他のプロジェクトはほとんどが生産のピークを迎え、資源がなくなる枯渇期に差し掛かっていました。つまり外形的にはそれなりの開発会社でも、将来展望は決して盤石な会社とはいえない状況でした。

 ただし、大きな成長の芽はありました。そこで10年に社長になった際に、当社は3つの成長ドライバーに取り組むと決めました。第1にイクシスLNGプロジェクトの推進。第2にアブダビでの石油権益の再拡大。第3に国内のガス供給網の整備。この3つに「我々の将来をかけたプロジェクト」という覚悟で挑戦しました。特にイクシスLNGプロジェクトは、多くの社員にとって石油開発屋の魂が燃える事業だったといえます。

自力で発見、開発、生産し提供したい
 松澤 石油開発屋としての魂ですか。それはどのようなプロジェクトだったのでしょうか。

イクシスプロジェクト ダーウィンGala Dinner

北村 イクシスLNGプロジェクトは、自社で発見したオーストラリア北西部の海上にある巨大ガス田を、自社で開発するというものでした。投資額は5兆円から7兆円ほど。日本企業としても史上最大級の海外プロジェクトです。

これの何がチャレンジだったのかというと、規模ではなく、初めて弊社がオペレーターを務めたことです。オペレーターとは、複数の企業が共同で石油や天然ガスの開発を行う際に、実際に開発コンセプトを決め、マーケティングやファイナンスの大枠を設定した上で、現場の作業を取り仕切り、管理・運営する企業や組織のことです。簡単にいうと、「開発プロジェクトのリーダー兼現場監督」のような存在です。

イクシスプロジェクト ダーウィン基地にて


 資源開発というのは、1社だけで行うことはほとんどありません。規模もリスクも大きく、多くの資金が必要になるため、関係企業とパートナーを組んでプロジェクトを進めるのが一般的です。基本的にパートナーはお金を出す立場で、オペレーターが意思決定を行い、責任を取っていく立場です。

 つまりイクシスは、INPEXが初めて探鉱から開発まで一貫して手掛けたプロジェクトです。これまでのようにオペレーターの横でお金を出しているだけではなく、自分たちの手で発見し、開発し、生産して世に出す。これでようやく「一人前」になれるという感覚でした。これは石油開発屋の魂に火をつけました。

石油開発はビジネスの「総合芸術」
 

私は、石油開発というのは「ビジネスの総合芸術」だと思っています。壮大なスケール、国際政治経済と密接に関連するダイナミックな展開という特色の上に、対象国を絞り込み、権益交渉を行い、探鉱を始める、そして開発方式の優劣を比較し、販売先を決め、資金調達の方法を見つけ、ファイナンスを組み、開発を担う企業を入札で探すなど、複数のステークホルダーを巻き込みながら数えきれないほどの意思決定をして、一つのプロジェクトをつくり上げていく。その全体を束ねるのがオペレーターです。

 天然資源の開発は、巨額のリスクマネーを必要とします。探鉱の成功率は現在でも低く、また成功しても開発に移行できないケースも多くあります。また政治・経済上のリスクがある国での開発が多いことや、開発プロセスでも様々なリスクがあることに加え、自分で売値を決められず国際市場に委ねるしかないことなど、多くのリスクがあります。その中で他のパートナーや販売先、金融機関、相手国の政府などから「よし分かった、お前らに任せてやろう」と太鼓判を押してもらうのは、なかなか難しいのです。
 日本は長い間、LNGの世界一の輸入国でした。つまり「買うだけ」の時代が続いていたわけです。だからこそ、イクシスを自社主導でやるというのは、まさに前例のない挑戦でした。


 「無謀だ」「できるわけがない」の声
 北村 巨大なリスクがあるうえに未経験なわけですから、多くの人から「できるわけがない」と言われました。INPEXは、普通の石油・ガスのビジネスでもオペレーターの経験が少なく、ましてやLNGのオペレーター実績がある会社は世界に十数社しかありません。

 弊社の投資家からも「お前は会社を危機に陥れるプロジェクトをやろうとしている」と厳しい言葉をかけられました。「なぜ権益を売って、石油メジャー(巨大な石油・エネルギー企業)にオペレーターを任せないのか」とも言われました。実際、オーストラリアで他のLNGを開発していた企業から「オペレーターをやらせてくれ」と打診もありました。彼らは経験があるから、自信を持って提案してくるのです。投資家としても実績のある会社に任せた方が安心だと考えるのは当然でしょう。

 どうして経験がないのに、大規模な資金を使おうとするのかと相当言われましたが、それでも当社は「やる」と決断しました。難しい挑戦でしたが、できなければINPEXはいつまでも資金を提供するだけの会社のままです。世界に存在感を示せません。また、オペレーター経験があって初めて世界の優良な権益取得への道が開けるものです。

 世界の石油メジャーがなぜ一流と呼ばれるかというと、オペレーターとしての実績を持っているからです。開発業界では、どれだけオペレーターを経験してきたかが、何よりもステータスになります。INPEXが「世界に通用する日本の開発企業」となるには、オペレーターの経験は必要不可欠でした。

日本UAEビジネスフォーラム
=2018年、アブダビ(JETRO提供)


 経営者としての心得と挑戦への使命感
 松澤 未経験にもかかわらず、世界でも例が少ないLNGのオペレーターに挑戦するのは、経営者として相当なプレッシャーだったのではないでしょうか。

 北村 大変でした。大変でしたが、経営者としての志や決意、そして3社統合の経緯が噛み合っていたからこそ、やるしかないという想いでした。私がINPEXに入社する際に、尊敬する経営者の方から「会社は毎日潰れているんです。会社を潰すのも、伸ばしていくのも、すべて経営者の責任だと思いなさい」「会社の経営者は本当に大変です。大変なことを克服して会社を引っ張っていくには、高い志が必要です」と教わりました。

 今から考えても本当にありがたいお言葉なのですが、私は経営者となって、なるほどと思いました。この2つの心得があったからこそ、大胆な挑戦を決断できたのだと思います。

 経営というのは、単なる数字のゲームではありません。人の情熱と信頼がなければ、どんなに立派な設備を作っても意味がない。特にエネルギー開発のようにリスクの大きな分野では、社員全員が「自分たちが日本のエネルギーを支えている」という誇りを持つことが必要だと実感します。

 また、当社のルーツである帝国石油には、戦時中に徴用され過酷な環境下で亡くなった社員が1600人にのぼる、という辛い歴史が刻まれています。また、同様にインドネシア石油、ジャパン石油開発もそれぞれ多くの苦難、挫折を経験してきています。こうしたことから、当社内では「先人たちの血と汗と涙の歴史の上に今の我々の仕事がある。だからこそこの会社を中途半端ではなく、真に日本のエネルギーを担う会社として発展させていこう」との認識を共有していると思います。
 それが、イクシスをやり遂げる最大の原動力になったと思います。

 松澤 いや、胸を打たれますね。まさに“使命感”という言葉がふさわしい。

直江津LNGターミナル

 北村 日本のエネルギー自給率はわずか12~13%しかなく先進国でも最低の水準です。日本は石油・天然ガスのほとんどを外国からの輸入に頼らざるを得ない状況が続いています。現在、世界また日本では石油・天然ガスがエネルギーの過半を占めており、この状況は長期的にも大きく変わらないものと見込んでいます。こうした中、エネルギーの安定供給は国家安全保障そのもので何か国際紛争や供給トラブルが起きれば、国民生活が直接揺らぐ。だからこそ、「海外の資源を日本の力で安定的に確保する仕組み」が必要なんです。

 日本政府は「石油・天然ガス消費量の50%、将来的には60%を自主開発によって賄う」という目標を掲げています。現在は40%前後まで来ていますが、そのうち約半分を我々INPEXが担っています。

 松澤 なるほど。半分をINPEXが担っているというのは驚きです。

 北村 そうなんです。我々の事業は、オーストラリア、アブダビ、インドネシア、ノルウェー、日本国内などに広がっています。

 特にオーストラリアのイクシスLNGプロジェクトは、いま日本に入ってくる液化天然ガス(LNG)の1割強を供給しています。私たちは「自分たちの仕事が日本の暮らしを支えている」という誇りを持っています。自主開発であれば、供給量・価格ともに安定します。エネルギーの安定供給には、私たち自身が海外で探鉱・開発・生産することが必要不可欠なのです。



 社会的責任を果たす脱炭素の取り組み
 松澤 まさに使命感ですね。改めてお聞きしたいのですが、最近は「脱炭素」や「カーボンニュートラル」という言葉をよく耳にします。エネルギー産業にとっては大きな転換期ですよね。
 北村 おっしゃる通りです。長期的に見れば、やはり脱炭素は非常に重要な課題です。日本政府も50年までに温室効果ガス排出実質ゼロ、いわゆるネットゼロを掲げています。我々もエネルギーの安定供給において中核的な役割を果たす会社として社会的責任を果たすべく、INPEXの得意分野を中心に、すでに3つの取り組みを進めています。

 まず1つ目は「CCSの推進」です。CCSとは、排出されたCO2を大気中に放出する前に回収し、地中深くに安全に貯留する技術です。イクシスをはじめ、自社で生産している石油・天然ガス採掘から出てくるCO2をなるべく減らすため、海底に埋め戻すプロジェクトをすでに決めています。これはインドネシアのアバディという今後開発に着手する予定のガス田でも同様に実施する予定です。また、日本最大級のCO2排出エリアである京葉工業地帯でも、CO2を東京湾に埋め戻す「首都圏CCS」プロジェクトに着手しています。

 次に2つ目は「次世代エネルギーの模索」です。さまざまな技術があり、現時点では将来的に何が脱炭素の決め手になるかは定まっていません。水素、アンモニア、合成メタンなどに取り組み始めていますが、現状ではコストが高く、技術面でも商業化の目途は立っていません。

 例えば合成メタンについては大規模な実証プロジェクトを開始しています。新潟にあるINPEXのガス田から排出されるCO2を水素と反応させて、生み出した合成メタンを供給する地産地消モデルの構築を目指しています。また、同じく新潟で自らのガス田から天然ガスを用いて所謂ブルー水素(製造プロセスから生じるCO2はCCSで処理して水素を製造するもの)の実証プロジェクトを進めています。これらは恐らく日本では我々しかできないことです。

 最後に3つ目は「再生可能エネルギー分野への挑戦」です。イクシスのあるオーストラリアは、太陽光と風力の条件が非常に良い。広大な土地と強い日射、安定した風があります。ここで太陽光・風力による再エネビジネスを展開しています。また、我々の技術に近い地熱発電も、日本国内とインドネシアで商業プロジェクトとして進めています。


 民間外交推進協会へ期待すること
 松澤 多方面から社会的責任を果たすべく動かれているのですね。最後に、民間外交推進協会に期待することについて一言お願いします。

 北村 私は今、日本とオーストラリア、日本とインドネシア、日本とUAEなど、INPEXと関係が深い国との国際交流団体の役員を務めています。その経験から、相互理解・相互信頼を高めていく重要性を身に染みて感じています。

 こうした経験から申し上げると、国際関係の基盤である信頼関係を構築する民間外交推進協会の活動は非常に意義があるものです。現在、日本企業の海外展開はとても大きなものになっており、いわゆる大企業だけでなく、地方企業や中堅企業も積極的に海外でビジネスを行っています。

 しかし、海外とのビジネスに慣れない企業にとって、関心ある国の情報取得や相互理解の構築は容易ではありません。とはいえ、外務省や在外公館だけでは、すべての企業を支援することはできません。
 いろいろな業種・地域の会社が海外展開を進め、さらに伸ばしていくために、民間外交推進協会による草の根の活動は大きな助けになります。今後、ますます重要になるでしょう。

 そしてもう一つ申し上げたいのは、講演会活動の重要性です。これから海外展開していきたい経営層にとって、今の国際情勢をどう見るべきか、これからの国際動向を知ることができる貴重な機会です。いわば国際情勢リテラシーを学べる場といえます。他にはなかなかない取り組みですので、この講演活動は、ぜひさらに発展させていただきたいと思います。

 松澤 本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

(当対談は2025年10月31日に実施されFECニュース12月号に掲載されたものです)

 北村俊昭  1948年、北海道生まれ。東京大学法学部卒業。72年、通商産業省(現・経済産業省)に入省。貿易経済協力局、製造産業局、通商政策局の各局長を歴任。2006年に経済産業審議官となり、07年に退官。退官後は東京海上日動火災保険顧問、早稲田大学大学院客員教授を経て、09年に国際石油開発帝石(現INPEX)副社長に就任。10年から同社社長を務め、18年には代表取締役会長を歴任。20年には石油鉱業連盟会長となり、24年に株式会社INPEX相談役に就任。22年豪州勲章“The Order of Australia”、25年瑞宝重光章受章。